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『奥』の細道はインドに続く・・・。
インドでの庶民的主婦日記。
プロフィール
名前:奥 (プロフィール詳細)



2005年10月よりオリッサ州バランプール(Berhampur)にて、インドの田舎生活開始。

2007年3月よりタミルナードゥ州チェンナイに引っ越し、インドの都会生活開始。

今はヨガ・タミル語・カラムカリ(絵)・カラリパヤット(格闘技)を習っているほか、チェンナイ中を歩いて『オモシロイこと発見』にいそしむ日々です。


2008年10月3日、インド完全脱出。

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マディヤプラデシュのサーンチー・ビンベトカ、マハラシュトラの
エローラ・アジャンターと来て、旅の最終目的地ムンバイへ。
テレビでも雑誌でもオシャレな人とかお店とかの特集には必ずムンバイが
入っていて、ちょっとした憧れの街。
この3年間のインド滞在で一度もデリーと並ぶこの大都市に行くチャンスが
なかったので、飛行機の時間までしばしの間、観光する予定でいたのです。

まずはオウランガバドからの電車が着く最終駅、ヴィクトリアターミナス
(現チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス)。
なんとこの駅舎もユネスコ世界遺産なのです。
電車が着いたらゆっくり見て回りたいもの。


が!
例の事件のせいで、ワタクシは大変なことになっておりました。
痒み最高潮、そして刺された痕が目立ちまくり。
ムンバイ到着後、一目散にタクシーに乗り駅舎を横目にAnokhiへ行って
長袖購入そのまま着替え、そのあと薬局に走りました・・・。
タクシーからしか見なかったけど、ステキな建物でしたよ。
こちらに写真があります


とりあえず、長袖に着替えて多少は目だだなくなった所で、お昼ご飯。
グジャラートでパンキを食べたSwati Snackの支店に行きました。
アーメダバードのお店の方が美味しかったけど、久々のグジャラート料理で
満足満足♪

そして、そこから空港までの通り道なので有名な洗濯ガートへ。
世界最大の洗濯場なんだそうです。


こんな感じの囲いがすーーーーっと続きます。
個人のものではなくて、洗濯が職業の人が使う所です。
汚れた洗濯物を運ぶ人、それを洗う人、干す人、アイロンする人、でき上がった
洗濯物を運んでいく人、とたくさんの人が働いています。
圧巻。


さて、憧れの地ムンバイはあまり見ることができませんでしたが、ステキな
ものがたくさんあるだろう可能性を秘めているところでした。
もっと時間をとってまわりたかったです。
若い人だけでなく年配の女性がインド服を”エスニックな雰囲気の服”として
オシャレに着こなしているのが新鮮でした。

お買い物したかった〜!!

ということで、世界遺産の旅はこれにて終了です!
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マディヤプラデシュ州2カ所の世界遺産を終えて、今度はお隣の
マハラシュトラ州アウランガバドへ。
ここでは日本人にも人気の世界遺産エローラとアジャンターに行きます。


まずはエローラの石窟寺院。
(遺跡の詳細はいつものこちらこちらへ♪)


この日は、マディヤプラデシュの快晴と打って変わってあいにくの雨模様。





翌日はアジャンターの石窟寺院へ(詳細はお馴染みのこちらへ)。

この日は昨日の雨がウソのように良い天気でした。


さて、このアジャンターに手っ取り早く行けてガイドもついて来る
州政府観光局主催のツアーに参加しました。
そしたら参加者30人くらいのうち、なんとそのうち10人ちかくが日本人。
アジャンターの遺跡内にも多くの日本人旅行者がいて、この3年間の
インド生活で、ここまで日本人が多い所に行くのは初めてでした。
仏教遺跡だからこんなに人気があるんでしょうかね〜?
久々にいろんな日本人とお話できて楽しかったです。



一見、エローラのようですが、中はすばらしい仏教画が描かれています。




2000年前に描かれたとは思えないほど、現代的なタッチの絵。
当時の服装やアクセサリーを知る上でも興味深いです。
残念ながら、石窟内は暗めで写真撮影のフラッシュ禁止なので、私が
まともに撮れたのは上の写真のみ。
こちらこちらで壁画の一部が見れます。
三白眼の目の表情や厚ぼったい唇がセクシ〜。






エローラ遺跡は???という感じでしたが、このアジャンター遺跡はかなり
良くて日本からはるばる来る価値はあると思います。
でも、実は前日の夜、この被害にあってしまい、暑くて湿気のある石窟内に
入ると余計痒くなるのでゆっくり見れませんでした・・・。ツラかった。


ところで、日本人が多いアジャンター。
日本人客も多いツアーのガイドさん(Forget about it!の人)に私の名前を
聞かれたので教えると、
「その名前の日本人女性が一番多いよ、男性だと◯◯が多いね。」
って、、、それはまさしくウチの兄の名前でした。
なんとまぁ、ひねりのない名前を持つ兄妹なんでしょうか・・・。

ボパールからバスで2時間のところにあるビンベトカBhimbetkaの
ロックシェルターという世界遺産に行く。
サーンチー行きを計画している時にこの遺産のことを初めて知ったので、
”まぁ、近くだし、ついでに行っておくか〜”という軽いノリだったのだが
まさかあとから考えてみればサーンチーの方が”ついで”的なことになるとは
思ってもみなかった・・・。


ビンベトカ最寄りのバス停、というか道っ端で降りる。


バス停付近の村を過ぎるとなーんにもない。
オートはおろか人も滅多に通らない。
超のどかな、この道をなんと3km歩かないといけないのでした・・・。


幸い道はキレイに舗装されていて歩きやすいものの、ジッとしていても
汗ばむほどの陽気。
日陰がないので直射日光が容赦なく、おかげで一気に足の甲のサンダル焼けが
濃くなってしまった。



汗ダクダクになりながらたどり着いた遺跡はこんなところ。


Rock・Rock・Rock
岩ばかり。


ここに何があるかと言いますと・・・、





ヒマーチャルプラデシュの旅のあと、T氏とデリーで別れ、
チェンナイまで世界遺産を点々としながら電車で南下する旅が始まった。
最初の目的地はマディヤプラデシュ州のボパールという街。
ここからそれぞれ日帰りで行ける世界遺産が2つある。

まずはサーンチー仏教建造物群。
(遺跡の詳細は例によってこちらをどうぞ、ためになります)。

インド国内にいても何度も写真で目にする機会があったのだが、ここに来ようと
思った決め手は(たしか)デリーの国立博物館で展示品されていたサーンチー遺跡の
一部を見たことだ。




この遺跡が1818年に発見された時は一部が崩れ落ちていたり荒廃していた。
遺跡の近くにある博物館で当時の写真を見たら、アンコールワットのように
遺跡に木が生えていて、なかなかミステリアスな雰囲気。
キレイに修復するよりも、多少そのままにしておいた方が歴史のロマンが
感じられていいと思うんだけどな。

私が博物館でみたのはこの門の一部。
こんな感じの門が東西南北に1つづつ、計4つ建っている。



門にはたくさんのブッダ関連のお話が彫られている。
ガイドがいなかったので、ガイドブックに書かれているものしか
判別できなかった。残念。

仏教遺跡ということで、日本人がいっぱいいるかと思ったけど以外にも
旅行者自体が少なめ。のんびりとしてなかなか良い遺跡でした。
広いわりに日陰があまりなくてものすごーーーーく暑かったけど。



サーンチーから乗り合いタクシーで近くにあるビディシャという街にも
行ってみた(後ろのドアが空いた状態で爆走)。
この街にも2〜6世紀に建てられた遺跡があった。

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