『奥』の細道はインドに続く・・・。
インドでの庶民的主婦日記。
プロフィール
名前:奥 (プロフィール詳細)
2005年10月よりオリッサ州バランプール(Berhampur)にて、インドのド田舎生活開始。
2007年3月よりタミルナードゥ州チェンナイに引っ越し、インドの都会生活開始。
今はヨガ・タミル語・カラムカリ(絵)・カラリパヤット(格闘技)を習っているほか、チェンナイ中を歩いて『オモシロイこと発見』にいそしむ日々です。
2008年10月3日、インド完全脱出。
2005年10月よりオリッサ州バランプール(Berhampur)にて、インドのド田舎生活開始。
2007年3月よりタミルナードゥ州チェンナイに引っ越し、インドの都会生活開始。
今はヨガ・タミル語・カラムカリ(絵)・カラリパヤット(格闘技)を習っているほか、チェンナイ中を歩いて『オモシロイこと発見』にいそしむ日々です。
2008年10月3日、インド完全脱出。
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さてさて、ご存知の通り、インド滞在日数も残すところあと2ヶ月を切りました。
で、まだ国内旅行で行けてない場所がたくさんありすぎる!!こんな状態で
インドは離れられん!!とちょっと切羽詰まったわけです。
どう考えても行きたい所全部は制覇できいなので的をしぼりました。
行き先はT氏がまーーーーーったく興味がなく、私が一人で行っても
全然羨ましく感じない、という場所、遺跡、です。
ということで怒濤の『インドのユネスコ世界遺産めぐりの旅』が始まります。
まず明日7日からお隣カルナータカ州にあるハンピの遺跡群。
いったんチェンナイに戻り、11日からはタミルナードゥ州の南タンジュールを
中心とした大チョーラ朝のヒンドゥー寺院郡。
そして少し間をおいて、22日からはT氏とインド最後の二人旅で
ヒマーチャルプラシュ州の奥地へ。
9月2日にT氏とデリーで別れ、電車で南下しながらマディヤプラデシュ州の
サーンチー仏教遺跡、ビンベトカ岩窟遺跡、マハラシュトラ州のアジャンター&
エローラの石窟、そしてムンバイのチャトラパティ・シヴァージー駅舎 に寄って、
8日にチェンナイへ帰ってきます。
T氏が出張で不在中の時を利用したり、引っ越しの準備もしなければ
ならないので、かなり慌ただしい旅です。
さらに、意外なことにT氏は未だお隣のケーララ州に行ったことが
ないらしく、週末を利用してちょっとでも行ってみたいと言ってますので、
もしかしたらこの他にコーチン行きが入るかもしれません。
いや〜、インドは見所が多すぎて大変ですよ。
で、まだ国内旅行で行けてない場所がたくさんありすぎる!!こんな状態で
インドは離れられん!!とちょっと切羽詰まったわけです。
どう考えても行きたい所全部は制覇できいなので的をしぼりました。
行き先はT氏がまーーーーーったく興味がなく、私が一人で行っても
全然羨ましく感じない、という場所、遺跡、です。
ということで怒濤の『インドのユネスコ世界遺産めぐりの旅』が始まります。
まず明日7日からお隣カルナータカ州にあるハンピの遺跡群。
いったんチェンナイに戻り、11日からはタミルナードゥ州の南タンジュールを
中心とした大チョーラ朝のヒンドゥー寺院郡。
そして少し間をおいて、22日からはT氏とインド最後の二人旅で
ヒマーチャルプラシュ州の奥地へ。
9月2日にT氏とデリーで別れ、電車で南下しながらマディヤプラデシュ州の
サーンチー仏教遺跡、ビンベトカ岩窟遺跡、マハラシュトラ州のアジャンター&
エローラの石窟、そしてムンバイのチャトラパティ・シヴァージー駅舎 に寄って、
8日にチェンナイへ帰ってきます。
T氏が出張で不在中の時を利用したり、引っ越しの準備もしなければ
ならないので、かなり慌ただしい旅です。
さらに、意外なことにT氏は未だお隣のケーララ州に行ったことが
ないらしく、週末を利用してちょっとでも行ってみたいと言ってますので、
もしかしたらこの他にコーチン行きが入るかもしれません。
いや〜、インドは見所が多すぎて大変ですよ。
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この日曜日、タミルナードゥ州ヨガスポーツチャンピオンシップなる大会が
チェンナイ郊外で開かれ、ななななんと、ワタクシ、31〜40歳女子の部で
優勝しちゃいました〜!!!わーいわーい♪
この大会、下は5歳以下の部から始まり上は51〜60歳までと各年齢に
応じて参加できるのですが、ハッキリって子供向け。
圧倒的に多いのは10代前半くらいの子供達で、アダルト参加者は数えるほど
でした。しかも、アダルトと言ってもすでにヨガの先生として教えているような
プロが出るような大きな大会ではなく、だいぶ敷居の低いカジュアルなものです。
実は大会2週間前、難易度の高いポーズを練習中に右太ももの筋をパチン!!と
言わせて痛めてしまい開脚ができなくなるという負傷を負ってしまいました。
幸い軽症だったため日常生活に支障は出ませんでしたが、その後、腰とオシリの
筋まで痛めてしまい、この約3年間のヨガ修行中で一番の絶不調。
もはや大会出場断念か!?という懸念もあったのですが、なんとか出場まで
調整を続けました(なんかいっちょまえのアスリートみたいでしょ?)。
当日は早めに起きて、長めの熱いシャワーを浴びて軽いストレッチ。
練習して痛くなったらイヤなのでぶっつけ本番で行こうと決めました。
ジャッジはポーズの完成度のみを見るので、無理に難易度の高いポーズを
するよりも確実にできるものをやった方がいいとのこと。
さらにバランスを崩したり等で1回でポーズが決められずやり直すと減点に
なるのだそうです。
そのため年齢別の競技の時は、大会の指定ポーズの中から車輪のポーズ
(仰向けからブリッジ)、鋤のポーズ(こんなの)、舟のポーズ(こんなの)と、
普段からやっているポーズ3つを選択しました。
どれも難易度は高くないので、つま先と膝を伸ばしてまっすぐにするとか、
手の補助をつけないとか、なるべくキレイに見えるようにしたり、ブリッジは
カカトが自分で見える位置に来るまで腕と上半身を近づけて点数稼ぎ。
審査方法は、審査員が周りに4人くらいいて、出場者がポーズを5秒程度
キープしたら手元のボードに10点満点で点数を書いていて、集計者に見せます。
会場にいる人からはもちろん、出場者本人に点数が見えてしまうことがあり、
万が一低い点が見えてしまったらモチベーションに影響しちゃうな〜と心配に
なりました。
しかも他の出場者がやっているのを見ていると、審査員の審査もときどき
テキトーになるんです。
隣の人と喋っていたり、上の空で一瞬しか見なかったとか。何百人も審査
するのは大変なんでしょうけどね。各ポーズの審査が終ると「リラックス!」と
言われるのですが、たまに審査員同士で話し込んでポーズを決めたまましばし
ほったらかされている可哀想な子供もいました。
ところであとで気づいたのですが、協議中はまったく身体の痛みを感じません
でした。緊張はしなかったけど、一発でキレイに決めようと集中していたから
なのかな?
ということで無事30代女子の部で優勝。
優勝すると各年代性別毎の優勝者が一同に会しての競技会に出場します。
各年齢の優勝者がお披露目のためメインステージへ。
子供に混じって明らかに大人なのにオサゲ髪にしたワタクシがおります。
(他にも大人がいたんですけど写真に写っておりません・・・。)
今度は多くのギャラリーの前で、ものすごいポーズを繰り出す子供の
優勝者たちのあとに出て行くことになりちょっとブルーな気分。
しかも審査員が10人くらいに増えていて、圧迫感がありました。
でもどうせ今回は優勝は無理なので、競技ではなく楽しんでやることにしました。
やったのは以下のポーズ。
猿のポーズ(これで、上半身を前足に倒す)
前屈(こんなので、手は背中で合掌)
ハト王のポーズ(こんなの)
後屈(立った状態から上半身を後ろに曲げて手で足首をつかむ)
ひねりのポーズ(こんなの、正式名称知りません)
あぐらをかいて手で立つポーズ(こんなの)
英雄のポーズⅢ(こんなの)
三角のポーズ(こんなの)
ガルーダのポーズ(こんなの)
ひねりのポーズその2↓これ。正式名称知りません。
やっぱり集中していたからか痛みは感じず。良かった〜。
各ポーズで点数が出たときに、その出来の善し悪しに関わらずギャラリーから
拍手が送られるのがありがたかったです。
子供達はすっごく柔軟で、こんなポーズはお茶の子サイサイ。
みんな骨と関節が存在しないのか?ってポーズを繰り広げてました。
インドに来てからヨガを始めた私にとっては、どんな大会であれ、インドを
離れるこの時期に良い成績が残せたことは卒業試験に合格した気分で素直に
嬉しかったです♪
もちろん、NYに行ってもヨガは続けますよ〜。
チェンナイ郊外で開かれ、ななななんと、ワタクシ、31〜40歳女子の部で
優勝しちゃいました〜!!!わーいわーい♪
この大会、下は5歳以下の部から始まり上は51〜60歳までと各年齢に
応じて参加できるのですが、ハッキリって子供向け。
圧倒的に多いのは10代前半くらいの子供達で、アダルト参加者は数えるほど
でした。しかも、アダルトと言ってもすでにヨガの先生として教えているような
プロが出るような大きな大会ではなく、だいぶ敷居の低いカジュアルなものです。
実は大会2週間前、難易度の高いポーズを練習中に右太ももの筋をパチン!!と
言わせて痛めてしまい開脚ができなくなるという負傷を負ってしまいました。
幸い軽症だったため日常生活に支障は出ませんでしたが、その後、腰とオシリの
筋まで痛めてしまい、この約3年間のヨガ修行中で一番の絶不調。
もはや大会出場断念か!?という懸念もあったのですが、なんとか出場まで
調整を続けました(なんかいっちょまえのアスリートみたいでしょ?)。
当日は早めに起きて、長めの熱いシャワーを浴びて軽いストレッチ。
練習して痛くなったらイヤなのでぶっつけ本番で行こうと決めました。
ジャッジはポーズの完成度のみを見るので、無理に難易度の高いポーズを
するよりも確実にできるものをやった方がいいとのこと。
さらにバランスを崩したり等で1回でポーズが決められずやり直すと減点に
なるのだそうです。
そのため年齢別の競技の時は、大会の指定ポーズの中から車輪のポーズ
(仰向けからブリッジ)、鋤のポーズ(こんなの)、舟のポーズ(こんなの)と、
普段からやっているポーズ3つを選択しました。
どれも難易度は高くないので、つま先と膝を伸ばしてまっすぐにするとか、
手の補助をつけないとか、なるべくキレイに見えるようにしたり、ブリッジは
カカトが自分で見える位置に来るまで腕と上半身を近づけて点数稼ぎ。
審査方法は、審査員が周りに4人くらいいて、出場者がポーズを5秒程度
キープしたら手元のボードに10点満点で点数を書いていて、集計者に見せます。
会場にいる人からはもちろん、出場者本人に点数が見えてしまうことがあり、
万が一低い点が見えてしまったらモチベーションに影響しちゃうな〜と心配に
なりました。
しかも他の出場者がやっているのを見ていると、審査員の審査もときどき
テキトーになるんです。
隣の人と喋っていたり、上の空で一瞬しか見なかったとか。何百人も審査
するのは大変なんでしょうけどね。各ポーズの審査が終ると「リラックス!」と
言われるのですが、たまに審査員同士で話し込んでポーズを決めたまましばし
ほったらかされている可哀想な子供もいました。
ところであとで気づいたのですが、協議中はまったく身体の痛みを感じません
でした。緊張はしなかったけど、一発でキレイに決めようと集中していたから
なのかな?
ということで無事30代女子の部で優勝。
優勝すると各年代性別毎の優勝者が一同に会しての競技会に出場します。
各年齢の優勝者がお披露目のためメインステージへ。
子供に混じって明らかに大人なのにオサゲ髪にしたワタクシがおります。
(他にも大人がいたんですけど写真に写っておりません・・・。)
今度は多くのギャラリーの前で、ものすごいポーズを繰り出す子供の
優勝者たちのあとに出て行くことになりちょっとブルーな気分。
しかも審査員が10人くらいに増えていて、圧迫感がありました。
でもどうせ今回は優勝は無理なので、競技ではなく楽しんでやることにしました。
やったのは以下のポーズ。
猿のポーズ(これで、上半身を前足に倒す)
前屈(こんなので、手は背中で合掌)
ハト王のポーズ(こんなの)
後屈(立った状態から上半身を後ろに曲げて手で足首をつかむ)
ひねりのポーズ(こんなの、正式名称知りません)
あぐらをかいて手で立つポーズ(こんなの)
英雄のポーズⅢ(こんなの)
三角のポーズ(こんなの)
ガルーダのポーズ(こんなの)
ひねりのポーズその2↓これ。正式名称知りません。
やっぱり集中していたからか痛みは感じず。良かった〜。
各ポーズで点数が出たときに、その出来の善し悪しに関わらずギャラリーから
拍手が送られるのがありがたかったです。
子供達はすっごく柔軟で、こんなポーズはお茶の子サイサイ。
みんな骨と関節が存在しないのか?ってポーズを繰り広げてました。
インドに来てからヨガを始めた私にとっては、どんな大会であれ、インドを
離れるこの時期に良い成績が残せたことは卒業試験に合格した気分で素直に
嬉しかったです♪
もちろん、NYに行ってもヨガは続けますよ〜。
カッチ地方最終日、最西端、パキスタンとの国境付近に行きました。
ブジから西へブッシュの生い茂った平原を越え、今度は地層がクッキリと
した赤茶色の岩山が続く、なんだか地の果てのようなところを進んでいきます。
岩山には草木が生えているので、時々、牛やヤギ、ウールを取るための
羊を放牧している村人がいました。彼らの格好はパキスタン男性が着いている
サルワールカミーズ(膝丈のシャツに細いズボン)を身に着けています。
このあたりは4500年前、インダス文明のころから人が住んでいました。
未だに発掘されていない遺跡も多くあるそうです(この近くに、最近発見された
居住区の遺跡に行こうと予定していましたが、道が通行止めになっていて
行けませんでした)。
そんなことを考えながらこの辺りを走っていると、きっと4500年前から
こんな風景なんだろうな〜と、なんだか自分がその時代にタイムスリップした
ような気分になります。
そしてある丘の上に辿り着きました。
車から降りると外は強い風が吹いていました。
そこにはインド陸軍のバラック小屋が建てられていて、小さな展望台が
あります(インドは軍事施設とヒンドゥー寺院がどこにでもある)。
展望台から国境方面をみると・・・、
天気が悪くて写真が暗いのですが、
写真中央に見える雲のような部分は白い河。海から来た海水です。
海岸から100km以上も離れているこの地に、海水が河となって流れこんで
いるのです。雨期は河のように、乾期は白い砂漠のようになるそうです。
この荒地と海水の河のコントラスト、自然の偉大さに感動!!
私が『インドの絶景100選』を選ぶとしたら、間違いなくここは入っちゃい
ますねー(T氏は"え?そこまでいい?"と冷めていたケド・・・)
アメリカだったら国立公園とかになっていそうなスケールがあります。
でもここはインドとパキスタンとの緊張状態が続く国境地帯。
この河に橋が架かっているのですが、印パ分離当初はそこが国境線でした。
その後の戦争でパキスタン側が河を越えてきて、30年くらい前までは
この私が立った展望台もパキスタンだったそうです。
今は河からさらに30km近くパキスタン側に入ったところまでインド領に
なっているとか。
その度にこのあたりに住んでいる人たちは同じコミュニティの村々が
インドになったりパキスタンになったりして落ちつかないことでしょう。
私的に今がインド領でよかったですが・・・。じゃなかったら、ここに
これないですもんね。
インドを離れる前にグジャラートに行けて本当によかったです。
またまたよい思い出ができました。
グジャラートは観光地としてはマイナーなところですが、いやはや、
語りつくせないほどのディープな文化と絶景が詰まっていました。
私が今回行けなかった東グジャラートは全然違う雰囲気があるとか。
もっと時間をかけて回ってみたいところです。
ということでグジャラート旅行記はこれにておしまいです!
その他の記事
グジャラートの食べ物
マンゴー祭りグジャラート編
グジャラートのお買い物
ブジから西へブッシュの生い茂った平原を越え、今度は地層がクッキリと
した赤茶色の岩山が続く、なんだか地の果てのようなところを進んでいきます。
岩山には草木が生えているので、時々、牛やヤギ、ウールを取るための
羊を放牧している村人がいました。彼らの格好はパキスタン男性が着いている
サルワールカミーズ(膝丈のシャツに細いズボン)を身に着けています。
このあたりは4500年前、インダス文明のころから人が住んでいました。
未だに発掘されていない遺跡も多くあるそうです(この近くに、最近発見された
居住区の遺跡に行こうと予定していましたが、道が通行止めになっていて
行けませんでした)。
そんなことを考えながらこの辺りを走っていると、きっと4500年前から
こんな風景なんだろうな〜と、なんだか自分がその時代にタイムスリップした
ような気分になります。
そしてある丘の上に辿り着きました。
車から降りると外は強い風が吹いていました。
そこにはインド陸軍のバラック小屋が建てられていて、小さな展望台が
あります(インドは軍事施設とヒンドゥー寺院がどこにでもある)。
展望台から国境方面をみると・・・、
天気が悪くて写真が暗いのですが、
写真中央に見える雲のような部分は白い河。海から来た海水です。
海岸から100km以上も離れているこの地に、海水が河となって流れこんで
いるのです。雨期は河のように、乾期は白い砂漠のようになるそうです。
この荒地と海水の河のコントラスト、自然の偉大さに感動!!
私が『インドの絶景100選』を選ぶとしたら、間違いなくここは入っちゃい
ますねー(T氏は"え?そこまでいい?"と冷めていたケド・・・)
アメリカだったら国立公園とかになっていそうなスケールがあります。
でもここはインドとパキスタンとの緊張状態が続く国境地帯。
この河に橋が架かっているのですが、印パ分離当初はそこが国境線でした。
その後の戦争でパキスタン側が河を越えてきて、30年くらい前までは
この私が立った展望台もパキスタンだったそうです。
今は河からさらに30km近くパキスタン側に入ったところまでインド領に
なっているとか。
その度にこのあたりに住んでいる人たちは同じコミュニティの村々が
インドになったりパキスタンになったりして落ちつかないことでしょう。
私的に今がインド領でよかったですが・・・。じゃなかったら、ここに
これないですもんね。
インドを離れる前にグジャラートに行けて本当によかったです。
またまたよい思い出ができました。
グジャラートは観光地としてはマイナーなところですが、いやはや、
語りつくせないほどのディープな文化と絶景が詰まっていました。
私が今回行けなかった東グジャラートは全然違う雰囲気があるとか。
もっと時間をかけて回ってみたいところです。
ということでグジャラート旅行記はこれにておしまいです!
その他の記事
グジャラートの食べ物
マンゴー祭りグジャラート編
グジャラートのお買い物
今日はみなさんに大事なご報告があります。
つ〜い〜に〜、T家の行く末が決定しました!!!
イエイ、イエイ!
今年の始めにナイロビ行きます宣言をしたものの、なんだかんだと
いろんなことが起きて、東西南北、あっちこっちといろいろな国が
候補にあがりました。
そして、今日、ついに、ついに最終決定が下ったのです。
気になる、その場所は????
↓
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なんとぉ〜
ニュゥヨォーーーク!!!!
アメリカは東海岸、あのニューヨークになりました。
いや〜、意外ですね〜。
もっと発展途上な国だと思っておりましたよ。
3年ぶりの現代社会で浦島太郎シンドローム必至です。
突然のファストライフについていけるんでしょうか?
首を横振りせずにYESと言えるのでしょうか??
レストランでこの料理は手づかみNGとかとっさに判断できるのでしょうか???
いろんな懸念事項がゴザイマス。
で。
いつインドを出発するかと言いますと、
これまたビックリ、
9月末。
これまたずいぶん急なことで。
11月中旬にはNY入りするためです。
ということで、
インド残り時間あと2ヶ月、思いっきり楽しむゼ!!
先日、アーメダバードで大きなテロ事件が発生しました。
デリーやハイデラバード、少し前はジャイプール、つい最近はバンガロールと
自分が訪れことのある都市が次々と標的になっています。
T氏はよく他都市に出張に行くし、チェンナイでも起こる可能性が
ゼロとは言いきれないし、自衛をすることができないテロはホントに怖いです。
暴力以外で意思表現する方法はないのでしょうか。
今回のテロの結果、ヒンドゥー教徒対イスラム教徒の暴動に発展しないことを
切にねがいます。
************************************************************************************
今日はお待ちかね(?)のカッチ女性特集です♪
コミュニティーごとのステキな衣装やアクセサリーだけでなく、いろんな
人種や、美人が多いのも注目点です。
それでは、いってみましょ〜。
※写真をどどーんと載せたので重かったらごめんなさーい。
デリーやハイデラバード、少し前はジャイプール、つい最近はバンガロールと
自分が訪れことのある都市が次々と標的になっています。
T氏はよく他都市に出張に行くし、チェンナイでも起こる可能性が
ゼロとは言いきれないし、自衛をすることができないテロはホントに怖いです。
暴力以外で意思表現する方法はないのでしょうか。
今回のテロの結果、ヒンドゥー教徒対イスラム教徒の暴動に発展しないことを
切にねがいます。
************************************************************************************
今日はお待ちかね(?)のカッチ女性特集です♪
コミュニティーごとのステキな衣装やアクセサリーだけでなく、いろんな
人種や、美人が多いのも注目点です。
それでは、いってみましょ〜。
※写真をどどーんと載せたので重かったらごめんなさーい。